Select a language: Chinese Korean Japanese English 

Dialogues

編集者は全体を見渡す力をもたねばならない

  • 姜マクシル(四季節〔サケジョル〕出版社代表)
  • 龍澤武(元・平凡社取締役編集局長)

すぐれた企画は、「こころざし」のある出版社から生まれる。そこで求められる編集者の能力とは何か。

出してはならない本を出さないこと

龍澤

私がはじめてサケジョル出版社にうかがったのは、2002年の11月です。社員のみなさんにお話をする機会をいただいたのですが、日本の出版界でも、研究者など外部の人を呼んで話を聞く機会を持つ出版社は少ないながらあります。私も自分の属した出版社で、研究会を継続的に組織し、著者たちに話を聞く機会を積極的に設ける気風を編集者に持たせようとして来ました。実際にずいぶんやりました。けれども、そうした出版社は、けっして多くはありません。そもそも「編集者」を呼んで話を聞こうというのは、私自身もやったことはないし、お話があったときには、正直、驚きました。自分が韓国の出版社で話をするなんて考えてもみなかったのです。私の話が期待に応えるものであったかどうかははなはだ心許ないのですが、それはともかく、そのとき、これは「こころざし」のある出版社だな、と思ったのです。で、今度は、こちらが、サケジョル出版社はどのようにつくられ、経営されているのか、ぜひお聞きする機会を持ちたいと思っていました。

いまも引き継がれているサケジョル出版社の理念は、創立者の生き方と結びついています。創立者の金暎鍾(キム・ヨンジョン)は、1970年代の独裁政権時代に、民主化運動に熱心に取り組んだ世代でした。当時、彼は民主化運動の理念を本を通して大衆に広めたいと考え、1982年にサケジョル出版社を創立したのです。独裁政権という社会的状況のなかで、市民がみずから判断できるように、正しい方向を示したいと考えていたのでしょう。

 

そうした背景から、サケジョル出版社の出版物は当初、社会科学の分野の本がほとんどでした。しかし1980年代末以降、ソ連の解体により東西冷戦体制が崩壊すると、創立者は自分がもつ理念を国内の教育と民族の問題に結びつけて考えるようになりました。というのも、韓国の教育は破綻していて、その実態も方向性も危機的な状態にあったからです。また当時、南北が分断された社会状況で何を志すべきか、ということが韓国社会で大きな問題になっていました。そのため、教育と民族という二つの問題をテーマに、さまざまなシリーズを刊行しはじめたのです。

 

なかでもよく知られるようになったのは1992年にスタートした『教室の外』というシリーズです(現在も刊行中)。当時の韓国の教科書は、政権維持のためのイデオロギー教育のなかでつくられていたので、知識が偏っていました。韓国の教科書は、2008年に国定から検定になりますが、『教室の外』は教科書が教えない、正しい知識を伝えようとつくられたシリーズです。

 

このほか、1991年に『南北の子どもたちが一緒に読む伝来・創作童話』というシリーズもつくりました。子どもたちに、この社会に生まれて成長していく過程で正しい知識と考え方を身につけてもらいたいという意図から生まれた企画です。

 

また、民族の分断状況をどのように解決していくか、ということを考えるには、やはり正しい歴史を学ぶ必要があります。そこで、サケジョル出版社では歴史の分野に重点を置くようになりました。

 

つまり、サケジョル出版社は社会科学書の出版からスタートして、1980年代の民主化運動と韓国社会の変化を経て、教育と民族の問題に深く取り組むようになったわけです。児童書、青少年向けの本、歴史を中心とした人文書を出版の三本柱としてから15年以上になりますが、今後もこの方向で出版を続けていきたいと考えています。

龍澤

日本の出版界では、かつては「こころざし」という言葉がよく使われました。いまのお話でサケジョル出版社の創業者の理念、つまり「こころざし」がどのようなものであったのかよくわかりました。

 

私が属していた平凡社は1914(大正3)年につくられた出版社ですが、創業者の下中弥三郎も教育を出版の理念に掲げていました。彼はもともと無政府主義的な考え方の持ち主で教師でもあった。岩波書店の創業者である岩波茂雄もやはり教師から出発しています。彼らが教育から出版をはじめたのは、たんに体制批判だけでなく、問題をその根底から捉え直し考えていく、社会のあるべき方向を作り出していく、そのためには何をしたらよいか、という意識をつよくもっていたからだと思います。残念ながら、いまや日本の出版界ではこの言葉は死語になりつつありますが、出版社にとって「こころざし」は不可欠ではないでしょうか。

 

ところで、2005年9月の東アジア出版人会議(東京会議)で、姜さんはたいへん興味深いお話をされました。サケジョル出版社では出版する本を決める過程を重視し、全社員が出席する会議で決める。そこでだいじなのは、「出してはならない本を出さないこと」というお話でした。じつは私自身も平凡社の編集者たちに同じことを言いつづけてきましたが、「出版する本を決定するプロセスを重視する」ということ、「出してはならない本を出さないこと」、この二つについて、もう少し詳しくお話しください。

出版する本を決めるプロセスを重視したのは、全社員の能力を強化するためでした。つまり、社員たちにそれぞれの部署で「なぜこの本を出すのか」という意識をもたせるためにはじめたことなのです。

 

サケジョル出版社がつくられた1980年代は、出版の理念がはっきりしていました。創立者の世代には時代的な使命感もあり、理念に従って出版すればよかった。しかし、90年代になると時代が変わり、従来のやり方では経営が難しくなってきたわけです。私が1995年に経営者になって最初に取り組んだことは、編集者だけでなく、営業担当者、販売担当者を含めた全社員を企画会議に出席させたことです。そして、この本を出すべきか出すべきでないか、自由に議論させました。それを三年間続けると、出すべき本と出すべきでない本の区別を全社員が理解するようになりました。

 

当時の韓国の出版社では、本の内容を知っているのは企画者、編集者、校訂者にかぎられていましたから、営業・販売担当者が新刊を書店にもっていったときに、その内容を聞かれても答えられないことが多かったわけです。それではすぐれた本をつくっても読者に届かない。本をつくり、それを読者に届けるには、本の企画者や編集者だけでなく、営業や販売担当者まで社員全員が本の内容を知っておかなくてはなりません。そのために社員全員を会議に出席させたわけですが、一冊の本に対して自分の役割が何であるかを意識することによって、出版社の方針をみんなが共有することができますので、このやり方はいまではほかの出版社にも広がっています。

「長期企画物」を出版するための条件

龍澤

なるほど。そこまで徹底して実践されていることに感心します。サケジョル出版社の出版物で特徴的なのは「シリーズもの」ですね。日本の出版界では「編集もの」と呼ばれる、あるテーマに沿ってまとまった巻数で全体を構成していくスタイルですが、サケジョル出版社ではこの「編集もの」が重視されているように感じます。そこにはやはり創立当初以来の理念が反映されているのでしょうか。また、「編集もの」を企画し刊行するには、個々の編集者の能力と、その企画にたいする編集部あるいは出版社全体の共通認識がなければ成立しないものだと思いますが、その点についてはどうですか。

龍澤さんがおっしゃる「編集もの」は、韓国の出版界では「長期企画物」と呼ばれています。平凡社とはくらべものにもならないほどわずかなものですが、サケジョル出版社でもさまざまな長期企画物を出版してきました。

 

たとえば、歴史の分野の企画においては、歴史をどう独創的に見せるか、どう読者に伝えるか、ほかの出版物と一線を画すような歴史の本をどうつくるか、ということを考えてきました。「出してはならない本」のなかには、どんな出版社でも簡単に出せるような本があります。そういう本ではなく、サケジョル出版社ならではの歴史の本とは何か。そのように考えて、1995年に「長期企画物」として最初に出したのが『歴史新聞』でした。新聞のスタイルで韓国の歴史を教えるシリーズです。その後、『世界史新聞』(1998年〜)、『韓国生活史博物館』(2001年〜)、『アトラス』(2004年〜)というシリーズを出してきました。

 

これらのシリーズは、ほかの出版社が数十年かけてもつくれないようなオリジナリティを生み出そう、という意気込みでつくったものです。その特徴は、内容と形式の独創的な調和です。つまり、内容にもっともふさわしい形式を考えてつくったのがこの四つのシリーズなのです。

新聞のスタイルで韓国の歴史を教えるシリーズ『歴史新聞』(全6巻、1995年〜1996年)

龍澤

平凡社でもいまやむかしですが、ある時期まではそのような意識をもって「編集もの」を出版してきたと思います。やはり、そこにはいくつかの条件があるように思います。ひとつは、出版社に経済的な余裕があることです。しかし、経済的な余裕があれば、誰もがすぐれた長期企画物をつくることができるかといえば、そうではない。

 

そこで不可欠なのは、言うまでもなく編集者です。しかも編集者なり編集部なりにその長期企画を構想していく力がなければなりません。

 

そして三つ目の条件は、執筆者たちです。長期企画物の場合、フォトグラファーやデザイナー、イラストレーターなど、その企画にかかわるすべての人の力が必要ですが、とりわけ重要なのは書き手でしょう。つまり、書き手たちの側にも、自分の専門の仕事とはべつに、こうした共同の仕事に参加すべきである、これは大切な仕事である、という意識がなければ成り立たない。ですから、長期企画物の成否は、これら三つの条件がうまく組織できるかどうかにかかっていると思います。

私も同感です。おっしゃるとおり、長期企画物にはまず、経済的な余裕が必要です。しかし同時に、お金がないから長期企画物ができないというのは言い訳にすぎません。

 

サケジョル出版社は、1993年に『初めまして、論理クン』という論理を楽しく教える本を出しました。これが大学受験の時期と重なったこともあり、大ヒットした。私たちはこの一冊で「ベストセラーの出版社」になり、それ以降、拡大路線をとったわけです。しかしこれが失敗でした。というのも、あちこちの出版社から似通った本がたくさん出版され、厖大な返品を抱えることになったため、会社の経営がひじょうに苦しくなってしまったのです。

 

そのころ経営者になった私は、まず縮小路線に転換しました。返品率を10パーセント以下に抑えることとともに、創立者の理念をふまえて他の出版社には真似できないオリジナリティのある出版物をつくらなければならないと考えました。先ほど申し上げた『歴史新聞』はこうして生まれたのです。

 

じっさい、『歴史新聞』の1、2巻を出すのは資金面でとても苦しかった。ですが、それがやがて大反響を得て、たいへん売れました。ですから、資金の問題ではなく、ほんとうに独創的で内容が充実した本をしっかりとつくることができれば、かならず成功に結びつく。私はいまでもそう信じています。

龍澤

日本の出版の長い歴史のなかで、たとえば平凡社や岩波書店などがすぐれた長期企画物を連続して出した時代は、第二次大戦後の啓蒙主義の時代がひとつでしょう。日本は自らはじめた帝国主義的侵略戦争で完膚なきまでに叩きのめされたわけですが、その深い反省と切実な危機感から、この時期には、未来を作り出そうとする、たいへんすぐれた出版物がつくられました。当時の日本社会は貧しかったけれど、書き手たちにもそういう企画に参加しようという強い意欲と熱気があり、出版社には、そうした知的なエネルギーをオーガナイズしようとする「こころざし」があったのだと思います。その時代には私はまだ小・中学生ですから編集者ではありませんでしたが、たとえば1950年代の平凡社では、先輩たちの話では、給料の遅配は当たり前のことでした。ですからたしかにおっしゃるように、「経済的余裕」は必要条件ではない。そのころの出版物を見ると、紙も印刷も質が低く、いろんな欠点はありますが、内容はすばらしい。最大限の編集の努力が見てとれるのです。その後、日本は高度成長の時代を迎え、大きなシリーズものも大量に売れるようになりました。そしてその時代があまりに長く続いて、啓蒙の気風が出版社に失われていく。さきほどの、「なぜこの本を出すのか」という意識が希薄になっていったと言ってもいいでしょう。そして日本の出版界は方向性を失い、危機的状況に陥っていく。

啓蒙主義の時代における出版の役割は、韓国でも同じと言えるかもしれません。長期企画物の出版において、私が資金の問題よりも重視したのは、編集者の能力、とりわけそのコミュニケーション能力です。

 

たとえば、サケジョル出版社では2001年に『韓国生活史博物館』というシリーズを出しました。これは一巻につき、日本円に換算すると2000万円もの資金をかけましたから、失敗すれば会社は破産してしまいます。ですが、成功すれば投資以上の見返りが期待できる。そこで重要なのは、企画とそれをかたちにする編集者の能力なのです。

 

『韓国生活史博物館』では、『歴史新聞』や『世界史新聞』と同様に、そのための企画編集チームをつくり、実務を担う編集者やデザイナーは多少入れ替わっても、その責任者は最後まで変えずに、企画全体の枠を維持する体制をとりました。こうして、膨大な作業の過程のなかで、数多くの編集者、執筆者、デザイナーなどをふくめた新しいネットワークがつくられたわけです。同時に、それまでの韓国にはなかった様式が生まれました。一枚の絵にすべての情報を入れ込む「ドキュメンタリー・イラストレ―ション」です。この様式は『韓国生活史博物館』のあと、いろんな出版物に使われ、いまではどの出版社にも「ドキュメンタリー・イラストレーター」がいます。ですから、この企画は編集者のコミュニケーション能力がなければ成り立たなかったと言えるでしょう。

龍澤

『韓国生活史博物館』はすばらしい企画だと思います。かつての日本でもこうした出版を手がける出版社はそれほど多くありませんでした。しかし、オリジナリティのある良い企画でも、それが売れると、他の出版社が真似をして、類似の本が大量に出回るという状況が生まれます。「水増し現象」です。私は若い編集者たちに「ともかく先端に出よう」と言い続けてきました。真似をされるのはある意味で光栄なことで、真似をされて悔しがっていてもしかたがない。そこからさらに先に進むのが編集者の役割であり、そのための努力をしなくてはなりませんね。

『歴史新聞』を出したあと、『科学新聞』というような類似の出版物がたくさん出されました。『韓国生活史博物館』にしても、類似本はたくさん出されていますが、それらが成功したという話はまだ聞いていません。

 

私たちは、そのような亜流の本が出てきても対抗できるような戦略をとっています。オリジナリティのある新しい企画を出していく一方で、たとえば『韓国生活史博物館』というワンソースをマルチユースにすることにも取り組んでいます。つまり『韓国生活史博物館』を分解し、低学年の子どもたち向けに編集し直して分冊にするなど、読者層を変えてつくっていく。実際にいま、小学1年生が「私の先祖は何をしたか」ということを考えるためのシリーズを企画しているところです。他の出版社で「社会史博物館」というようなシリーズがつくられたとしても、それとはまったくちがうしかたで、ひとつのコンテンツから読者層別に新しい切り口やテーマを生み出しながら、細部にまで気を配ってつくっていこうと考えています。

龍澤

なるほど。出版社だから、編集者だからといって編集への意欲が自明のものとして備わっているわけではありません。むしろ編集意欲をもっている出版社、編集者のほうが少ない、といわなければならないのが現状でしょう。そこで求められるのは、何かを総合していくものとしての編集だと思いますが、サケジョル出版社と姜社長には編集への意欲を感じます。

 

本をつくるということは一種の文化運動ですが、それは当然のことながら現実社会のなかで持続的におこなわれなければなりません。つまり、再生産していかなければならない。編集という仕事には、この、「再生産を維持する」ことも含まれるのです。ある意味でそれが編集の面白いところ、ほかの仕事では経験できないところではないでしょうか。

おっしゃるとおりです。サケジョル出版社の編集者たちには、統合的な能力をもたなくてはいけない、経営者としての観点ももたなくてはいけない、といつも言っています。1冊の本には、企画から制作、販売まで、書き手も含めておよそ80人の人びとがかかわっています。本はそれほど多くの人びとの仕事のうえに成り立っているのであり、その全体を統括できないとすぐれた編集者にはなれないでしょう。知識だけではなく、かかわる人びとの関係をふくめすべてをまとめることができる人が、総合的な意味での編集者だと思います。

龍澤

編集もの、あるいは長期企画物の出版は、それらが扱う領域全体を見渡す力がなければできませんね。ひとりの編集者が全体を見渡す力をもっている場合もあるでしょうし、ひとりでできなければ、それができる人びとを集めなくてはならない。大事なのは全体を見渡すことであり、それは必ずしも専門家には求められない、求めても無い物ねだりになる、しかし編集者には必備の基本能力なんですね。

社員教育としてのカフェテリア制度

サケジョル出版社の特徴のひとつに独特な組織構成があります。社長と理事がひとりずつおり、社長は経営戦略を立てるとともに、いくつかの企画編集部を統括しています。理事はマーケティングを担当し、それ以外に会計や経営支援をおこなう総務部があります。そのほかの社員はチーム編成になっていて、チーム長が絶大な権限をもっています。チーム長といっても、他の会社組織でいえば主幹(編集長)クラスですね。大規模な出版企画やその方向性は、チームのメンバーと相談をしてすべてチーム長が決めます。もちろんそのあとで社長と検討するわけですが、企画は社長の指示で決まるのではなく、つねに各チームから上がってくるのです。それを全体会議にかけてOKが出ると、正式に本をつくることができるわけですが、社長が徹底的にチェックするのは広告、表紙、デザインといった細部だけです。統一したブランドイメージを保っていくためです。

龍澤

そうした組織づくりはいつごろからはじめられたのですか。

私が代表に就任した1995年からこうした体制をとっていますが、いい企画が生まれますね。

 

もうひとつの特徴として、サケジョル出版社は小さな会社ですけれども、韓国の大企業がとりいれているカフェテリア制度を採用しています。これは福利厚生の制度で、社員のための福利厚生費を1年単位で会社が積み立てるというものです。1年間でひとりあたりだいたい100万ウォンから300万ウォンになり、そのうちの40パーセントは各自が職務と関連した教育費にあてなくてはなりません。1年単位で使うことが決められているので、使いきれずに次年度になったら消滅します。残りの60パーセントは自分の子どもの教育や健康診断のほか、企画の参考になるような映画鑑賞や図書の購入にあてています。事前に申し出れば、たとえば教育費を2年間貯めて外国へ研修に行く、といったこともできます。編集者の能力向上の一環として、他の出版社にはないこうした福利厚生費の積み立て制度があるのです。

 

また、サケジョル出版社では年俸の交渉を毎年3月にしていますが、そのさい、純利益の10パーセントを成果報酬として社員に還元しています。そのうちの60パーセントは一律に支給し、40パーセントは社員に刺激を与えるために成績に応じて支給しています。

龍澤

なるほど、ユニークな制度ですが、それは姜さんのアイデアですか。

そうです。私は読みたい本があれば会社の経費で買っているわけですから、社員たちも必要な本は自分の給料ではなく会社の経費で買えるようにしたい。そう考えて、積み立てたお金で買えるようにしたわけです。社員はみな喜んでいますね。

 

以前からこうしたカフェテリア制度の導入を考えてはいましたが、ここまで細かく項目を分けて実施するようになったのは3年前からです。あるコンサルティング会社に会社を診断してもらったところ、社員たちからは健康診断や子どもの教育などについていろいろな要求が出ました。もちろんそうした要求に応えるとともに、社員たち自身の教育を目的とした項目も設けたほうがいいと考えて、かならず使わなければならない強制事項にしました(笑)。

龍澤

日本のみならず、世界に知らせたい取り組みですよ、それは。実現しようとすればなかなかたいへんなことですからね。

自分が経営者になってみて、やはりすべての会社はこうあるべきではないかと思っています。本来なら当たり前のことなのですから。創立者の理念は、進歩的な知識を大衆に広めるというものでした。その土台はなんとかつくることができたと思いますので、これからは理念の実現に向かっていきたいですね。

(2006年2月22日、韓国・坡州市のサゲジョル社にて)

Profiles

姜マクシル (Kang Marxill) 四季節出版社代表

1956年、全羅南道・光州市生まれ。韓国神学大学卒業後、梨花女子大学大学院で神学修士号を取得。中央大学新聞放送大学院で出版について学ぶ。韓国神学研究所で6年間にわたり編集と翻訳の仕事に携わったあと、社会科学分野の出版活動で知られる四季節出版社で8年間編集長を務め、95年、同社代表(CEO)に就任。同社では絵本などの児童書、中高生向けの書籍、人文書を中心に出版活動を展開。おもな出版物に、魏基喆『初めまして、論理クン』(1992)、韓国の歴史を教える『韓国生活史博物館』、韓国を含むさまざまな国の歴史を地図で紹介する『アトラス』シリーズなどがある。そのほか、マーティン・ガードナー『話のパラドックス』(李忠昊訳、1990)、姜惠媴、朴永晨『教室の外の国語旅行』(1994)、盧雄熙、朴炳錫『教室の外の地理旅行』(2005)などの編集を手がける。四季節出版社 »

龍澤武 (Ryusawa Takeshi) 元・平凡社取締役編集局長

1945年、東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。68年、平凡社入社。平凡社選書編集長、取締役事典書籍部長、取締役編集局長を歴任し、96年に日立デジタル平凡社取締役に就任。2000年、同社解散にともない平凡社退社。平凡社では加藤周一編集長のもと、内部編集長として『世界大百科事典』(全35巻)を完成(1988)させるかたわら、西郷信綱『古事記注釈』(全4巻)、藤田省三『精神史的考察』、網野善彦『無縁・公界・楽』など日本の精神史・歴史学を革新する著作の企画編集に従事。東洋文庫・平凡社ライブラリーなどの企画を指揮する一方、E.サイード『オリエンタリズム』、F.ジェイムスン『政治的無意識』など、欧米理論書の翻訳出版を推進。90年代後半は、世界大百科事典のデータベース化・デジタル化に取り組む。平凡社退社後は『季刊・本とコンピュータ』編集委員、また、人文書6社連合によるオンデマンド叢書『リキエスタ』を提唱し刊行。現在、株式会社トランスアート顧問、トヨタ財団理事、法政大学講師。