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Dialogues

現代社会における人文書の出版をめぐって

  • 高世鉉(創批社社長)
  • 龍澤武(元・平凡社取締役編集局長)

市場の原理が席巻するふたつの国の出版界で、多様性のある人文・社会科学書をいかに出しつづけるのか。人文精神の衰退に危機感をいだくふたりの編集者が、出版の現状と未来をめぐって語り合う。

民主化運動を支えた出版社

龍澤

創批社(チャンビ社)は、白楽晴(ペク・ナクチョン)先生のお名前とともに、韓国の知識人たちがはじめた出版社として、日本でもよく知られている出版社です。日本では知識人が創業した出版社は珍しい。ですから、どのように運営されているのかたいへん興味があります。そこで社長をつとめる高さんに、具体的にどのようにして出版活動をされているのかお聞きしたいと思っていました。

チャンビは2006年に創業40周年を迎えますが、ご存知のとおり、韓国の批判的な知識人の拠点として、独裁政権のもとでは民主化運動の中心的な役割を果たしてきた歴史をもっています。この40年の歴史のなかで、さまざまな変化がありました。

チャンビは1970年代初めころから単行本の出版をはじめましたが、当時、編集委員は3、4人で、編集から校正まで何もかも自分たちでやっていました。会社というよりはサークルのような雰囲気だったのではないでしょうか。その後、少しずつ規模が大きくなり、社員を雇うようになって出版物の数も増えていきました。そのかん、ほとんどの編集委員が民主化運動で職を追われてしまった時期もありましたが、民主化運動が成功すると、彼らは再び職場である大学に戻っていきました。そうして徐々に社員中心で動くようになったわけです。

龍澤

いまでも知識人たちの編集委員会で出された企画を中心に出版しているのでしょうか。

現在では、単行本の編集は私を中心に社員の編集部がおこなっています。ですから編集委員の方々には意見をうかがう程度ですね。いっぽう雑誌の編集は6人の常任の編集委員を中心におこなっています。私は1981年に入社しましたが、社員組の第一世代と言えるかもしれません。

龍澤

すると40年の歴史のなかで、前半が編集委員中心、後半が編集部中心という体制ですね。しかし、知識人の企画で会社が成り立つというのは、日本ではちょっと考えられない。もちろん、日本でも知識人と協力しなければ人文書の出版は成り立ちません。けれども出版社の経営という点では、知識人の役割と出版社の役割はまったく異なるのではないでしょうか。

おっしゃるとおりです。チャンビは韓国の出版社のなかでも例外的な存在と言えるでしょう。そこには特殊な事情がありました。まず編集委員の方々は職を追われてから仕事がなかった(笑)。そのため、この仕事に精力をそそぐことができたわけです。くわえて、彼らは運営資金をかき集める努力もしてきました。

龍澤

なるほど。会社の成り立ちが韓国の歴史的な背景、韓国の知識人が置かれた状況と深くかかわっているわけですね。

チャンビがこれまで生き延びてこられたのは、やはり民主化運動の成功のおかげと言っていいでしょう。たとえば、チャンビの出版物に子どもの必読図書とされている『モンシル・オンニ(モンシル姉さん)』(権正生〔コン・ジョンセン〕作、初版1984年)という本があります。これまでに50万部ほど売れているロングセラーです。80年代には、学校の教師が子どもに『モンシル・オンニ』を薦めたら、お前はアカだと校長先生などから強い圧力がかかった。それがいまでは子どもの必読図書になっていて、チャンビの売り上げを支えています(笑)。ですから、民主化運動の成功によってチャンビも成長したと言えますね。

龍澤

民主化運動がひとまず成功をおさめ、民主化された社会が実現すると、出版の世界で次に出てくる問題は商業化です。つまり「よく売れる本」と「売れない本」という尺度で本を評価する態度です。こうした現実に対してはどのようにお考えですか

それはじつに難題で、核心的な問題ですね。民主化以降の方向性については、韓国社会そのものがいま模索しているところです。私たちが考える民主化とは民主化運動の成功が最終目標ではありません。韓国には南北統一という問題もある。そして、民主化以降もよりよい社会を志向していくための努力は続けていかなければならないと思っています。

商品化・商業化という問題については、チャンビの場合、知識人のグループとしての品格、真摯な理念や方向性を保ちつづけるという方針は変わっていません。

具体的にお話しますと、チャンビにはおもに人文、文学、子ども向けの分野の出版物があります。人文書については、従来の路線を保っていこうと考えています。文芸書については、進歩的な作品の出版を中心としながらも、もっとスムーズに読者層をさらに広げるための方策を探っています。子どもの本については、他社との境界線がなくなりつつある分野なので、チャンビらしい質の高い本を出していきたいと考えています。でも実際は、『モンシル・オンニ』のように進歩的・思想的な本だけではなく、より大衆的な本が増えつつありますね。人文書ではもうけることはできませんから、人文書で損をしてもほかの分野でがんばる、というのが現状です。

大学の大衆化と人文精神の衰退

龍澤

私も人文書の出版に長くたずさわってきましたが、たしかに人文書はもうからないし、たとえ数点の本がよく売れたとしてもそれで人文書全体が莫大な利益を出す、というわけにはいきません。それなのになぜ、そういう本を出版しつづけるのか。私はやはり、人文書は「読書」、つまり「本を読んで考える」という行為の核にあるのではないかと思うんです。本を読むことの根底には、人間にかかわるあらゆる問題について関心をもつという精神がある。それを人文精神ということもできると思いますが、人文書が崩壊してしまうと、「読書」そのものが崩壊していく。ひいては出版という営為そのものが崩壊していくのではないか。ところが人文書の出版はひじょうにむずかしく、しかもいったん崩壊しはじめたらそれを食い止めることはたいへんです。

おっしゃるとおりです。チャンビの基本的な理念もどうすればこの社会をよりよくできるのか、どういう社会をつくるべきかを考える、というものです。その方向性はいまでも変わっていません。チャンビの人文書として、社会科学の分野では労働問題や女性問題、あるいは環境問題をあつかった書籍が中心になっていますが、しかしいまや、人文精神や教養をもつ読者は少なくなりつつあります。そこで、そうした読者を少しでも増やしていくために、この場所を「チャンビ文化センター」にしようと計画しているんです。

龍澤

その計画とは具体的にどのようなものですか。

この建物はチャンビ所有のもので、いまは1・2階にはテナントとして別の会社が入っていますが、将来的には1階はカフェや詩の朗読会などをするためのスペースに、2階は一般読者向けの講演会場に、いま会議室になっている3階は小規模なセミナーハウスにしたいと考えています。もともとチャンビは「知識人のネットワーク」の構築をめざしてきましたから、この「文化センター」を知識人の議論の場、あるいは外国からのお客さまのためにも利用したいですね。

この構想が実現できたとして、教養のある人や従来のチャンビの読者だけでなく、興味本位で来る人もいるでしょう。しかし、そういう人たちにとっても、来てみればおもしろいとか楽しいと感じてもらえるような活動をやりたいですね。彼らが新しくチャンビの読者となれば、結果的に売り上げにもつながるでしょうし、読者との出会いの場、読者の意見を聞く場にもなり得るのではないかと考えています。

龍澤

それはたいへん興味深い構想ですね。日本でも決して活発だったとはいえませんが、読者(市民)に向けて出版社が連続セミナーや講演会をおこなう例はありました。みすず書房で古典セミナーがあり、私もそれを聴講しましたが、それを引き継ぐようなかたちで私自身が企画し平凡社を説得して、藤田省三先生や西郷信綱先生、網野善彦先生といった方々と古典のセミナーを2年くらいやりました。1970年代前半の若い編集者の頃のことです。さきほど、韓国の知識人が民主化運動のなかで大学を追われたというお話がありましたが、日本でも1960年代末に、若者たちが既存の大学制度に異議を申し立てた。制度的になってしまった大学にたいして、大学のあり方、学問のあり方に大きな疑問が呈された。私が平凡社で古典のセミナーをやろうとしたのはそういう状況の直後でした。古典をきちんと読み直すことから人文精神をもう一度現代のなかで考えてみよう、という試みでした。ささやかな試みで必ずしも大成功したとは言えませんが。

韓国では1980年代から90年代以降、大学が大衆化して人文精神や教養の概念が変わりました。たとえば、いま学生のあいだで話題になるのは本の話ではなく、あの映画は観たか、といった話ばかりです。こうした危機的な傾向はおそらく日本でも同じように見られるのではないかと思います。

龍澤

日本ではもっと早い時期から、しかも徹底的にそうなりましたね。

人文精神や教養をもった人びとの減少が加速していることは事実です。まったくいなくなることはないと私は信じていますが、それでも減少の速度をできるだけゆるめるために、出版社は努力しなくてはならないでしょう。その努力とはたんにもうけるための努力ではない。お金を稼ぎたいなら、かならずしも出版社をつくる必要はありません。

ところがこのところ、韓国ではお金のためなら何でも出版する、というような人たちが増えています。もちろん出版は産業ですから利益を出さなくてはいけません。それは当然ですけれども、出版産業に見られるこうした傾向は、人文精神と教養をもった市民や読者をすり減らしていくのではないかと、私は大きな危機感をおぼえているのです。

批評機能をいかに働かせるか

龍澤

日本では一般的に言って、出版社はみな規模を拡大する方向にむかいました。1960年代の高度経済成長が描いた曲線をなぞって、人員規模も給料水準も上げていった。そのなかで利益追求がどういうかたちでおこなわれるかというと、やはり大量部数の出版にむかいます。企画がしだいに画一化してゆく。各社とも同じような本を出版するという状況が生まれてしまうわけですね。

私は人文書の出版というのは多様性が保証されないかぎり成り立たない世界だと思います。ですから規模の問題ではありません。規模が小さくても多様性が確保されればいい。しかし、画一化の流れのなかでは多様性はしだいに失われてゆきます。

たとえば、日本の本には「新書」という形態があります。ある意味ではたいへんすぐれたメディアで、私は新書も人文書のひとつのありかただと考えています。そのなかには半端な学術書よりもはるかにすぐれているものもある。ところが、いまや各社が同じような新書を出していて、それぞれの特色はなくなり、画一化現象がものすごい勢いで起きています。拡大化した出版社はその規模を維持しなくてはなりませんから、売り上げを確保するために一定の販売部数が期待できる新書に進出しようとなるわけですね。いつのまにか私のいた平凡社も新書を出すようになってしまいましたが(笑)

でも新書を人文書として出すということは、一定の需要はあるわけですよね。そう考えると、読者はある程度確保されているのではないかと思うのですが。

龍澤

現在の新書の競争がそのように働いているのかは疑問です。売れる著者に偏って中味は薄くなり、さらに読者を得るために内容がセンセーショナルになっていく。そのいっぽうで、新書が初めての本という書き手もたいへん増えている。かつて新書が人文書としてすぐれていたのは、すでに著作がいくつもあり、学問的な業績のある人が非専門家に向けて書いていたからなのです。それは書き手にとっておおきなチャレンジでもあり、すぐれた新書はロングセラーになった。ところが、いつの頃からか学問的な蓄積のまったくない人がいきなり新書を出すようになる。ようするに書き手のほうがかつての新書のレベルに追いついていないのです。新しいものへ新しいものへ、という方向が、かえって底の浅い、たちまち陳腐化する画一的なものを大量に生み出すという方向に流れていく。

なるほど、驚くべき状況ですね。韓国でも10年ほど前から大衆的な人文書という触れ込みで、アマチュア学者がよく本を出しています。彼らは学術的な蓄積のまったくない人たちです。チャンビにもそういった人たちから原稿が送られてきますが、丁寧に断っています。そのために、チャンビはハードルが高いとか、大学教授じゃないと出してくれないといった批判を受けることもありますけれども、そうではなくて、大衆的な書物を出すにしてもそれなりの学術的な蓄積が必要なんですね。

たとえば、チャンビで出した『私の文化遺産踏査記』全3巻(兪弘濬[ユ・ホンジュン]著、第1巻初版1993年)という本があります。いま韓国の文化財庁長をつとめている人が大学教授をやっていたときに出版した本ですが、これは200万部売れました。大衆的な書物とはいえ、そこには20年近くの蓄積があった。だからこそもたらされた結果なのです。たしかに人文書や学術書は一般書とはちがう側面があると私も思いますが、しかし両者がつながることもある。豊富な経験をもつ著者の蓄積がエッセンスとして大衆的な書籍になっている事実がそれを物語っています。

龍澤

それは質を落とすのではなく、むしろこれまでにない表現をしようとしているわけですよね。真に新しい知識を与える新書や、豊かな蓄積を還元するメディアとしての新書なら意味があるし、その需要もあるでしょう。しかしいまの日本の新書を見るにつけ、粗製濫造の感は否めません。

そこで重要なのは、玉と石を区別する作業です。出版社の批評機能をいかに働かせるか、社会の批評機能がいかに働いているか、という問題ですね。玉と石を区別する批評家としてよく出てくるのは新聞記者ですが、彼らがこの本もいい、あの本もいいというふうにあいまいな批評をするものだから、それを読んで信じる読者はあれこれと買ってしまう。たしかに蓄積のある著者の本はむずかしくて売れないかもしれないし、著者や編集者の努力が報われないことだってあるでしょう。だから出版社はたやすく出せるような本の誘惑になびいてしまうわけですが、そこで問われるのは批評の機能ですね。

龍澤

その通りだと思います。ハードルはしっかりと高くしなくてはいけない。そのためにたとえ権威主義だと言われても、それが批評機能であることをきちんと自覚していればいいんです。

その批評機能がいまの韓国で健全に働いているかというと、きわめて疑わしい状況にあります。そのうえ、韓国の出版界では何が成功で何が失敗なのかという考え方がひどく混乱しています。つまり出版において商業主義的な考えがはびこっているのです。たとえば、チャンビより数十年も若い新興出版社が大きな利益をあげると、彼らは私たちに向かって「お前たちはいまだに売れない本をつくっている」という。そのいっぽうで、チャンビと同じような理念をもってやってきた出版社のなかには、経営に失敗して縮小したり倒産したりするところもある。けれども、そういう人たちはチャンビの理念や活動を、自分たちができなかったことをしっかりやっている、それは重要なことだ、と評価してくれます。このように、成功と失敗の尺度の認識が大きく二つにわかれてしまっている。

こうした認識の差異は、社内からも出てきています。若い社員たちは売れるような本を出したいと言います。そこには、本をたくさん出して、たくさん売って、給料も上げてもらいたい、という気持ちもあるでしょう。それにたいして、私をふくめた中堅の人間たちは、本がたくさん売れるのも重要だけれど、それがすぐれた本であるかどうかがもっと重要なのだ、と言います。すると、表向きにではないけれど、なかには心中で反発する人もいるようです。

龍澤

身につまされるお話です(笑)。その点では私もずいぶん苦労しました。内部での認識のちがいのほうが深刻だったりしますが、私の場合、編集部門の責任者として、反発が起きると徹底的に無視するか弾圧しましたね(笑)。

編集者の立場から言えば、もちろんいい本をつくると同時に、その本は売れなくてはいけない。いい本は普及されなければならない。私はそう思います。これはいい本だから、人文書だからといって売れなくてもいいと思ったことは一度たりともありませんね。しかしながら、市場の原理とは別の、本に対する評価尺度をもっていなくてはいけないということです。

市場主義状況における編集者の役割

人文書や学術書は、市場の原理にまかせていては成り立ちません。ですからそこで出版社は工夫をしなくてはならない。それについて私は三つのことを考えています。

ひとつは、公共図書館などの公的機関が購入してくれるようなシステムを築きあげること。しかし韓国ではこの面でもっとも遅れていますので頭を悩ませています。ふたつめは、人文書の編集者は独自性をもち、読者が本に出会う機会をできるかぎり増やして、読者が気軽に読めるよう内容を工夫すること。そして三つめは、人文書だけでなく、事業を多角化し、多様性をもたせて経営を安定させることです。人文書だけが本ではありません。実際、チャンビは文芸出版からはじまりましたし、いまでは子どもの本も出すようになりました。それでも基本理念は変わっていません。人文書を出しつづけるためにも、事業の多角化、出版の多様化への努力が必要なのではないかと思います。その点について、日本の人文書の出版社はどのように考えているのでしょうか。

龍澤

私がいた平凡社では、人文書だけでなく、事典、雑誌、写真集、文芸書なども出していました。そこで重視していたことは、どのようなジャンルの出版物でもクオリティです。しかし、社内でそのクオリティの感覚を持続的に共有することもまたひじょうにむずかしい。80年代、90年代と、編集者ひとり一人をとりまく環境が大きく変わっていったからです。とりわけ日本における文芸書は、創批社が出している文芸書にくらべると、大衆的なマーケットを想定して出版されているものが増えている。その傾向は子どもの本の分野でもそうでしょう。そこでクオリティを維持することはきわめて困難になっていますね。ですから安易に多角化をはかることはむしろ自分の首をしめることになりかねない、と言えるのではないでしょうか。

チャンビが詩や小説などの文芸出版から出発したとき、この社会で文学はどのような役割を果たせるのか、という問題意識がありました。そしてその問題意識の延長線上で歴史書も出すようになる。つまりこういう社会になった原因は何だったのか、その根本を歴史に探ってみようということで、近現代史にかんする書籍を出してきたわけです。70年代からは子どもの本を出しはじめますが、それはオリジナルな児童書の単行本として韓国で初めての本でした。

ですから、チャンビは基本理念をふまえた出版活動の結果として、自然に多角化がはかられてきたと言えるでしょう。80年代には社会科学分野の専門出版社も韓国にたくさんありましたが、そのなかには規模をかなり縮小してしまったり、当初の理念とはまったく正反対の方向に走ってしまったりしている出版社が少なくありません。それを考えると、チャンビは経営的に厳しい分野を他の分野が支えることで、基本理念を変えることなく生き延びてこられたのではないかと思います。

龍澤

人文書の編集者は、とかく「これはいい本だから」といって本が売れないことの言い訳にしたり、権威を楯にすることがある。しかしそれでは具合が悪い。私たちは社会に向かって本を出しているわけで、自分たちのつくった本が社会や文化のなかでどういう位置、どういう意味を持つのかをしっかり捉えなくてはなりません。それがきちんとできないと読者には伝わらない。

編集者の役割についての考え方も多様化し、共通認識をもつことがむずかしくなっています。というのも、資本主義のもとでは社会とはすなわち市場だからです。編集者は一本釣りのような感覚で売れる本を出したいという方向に流れてしまう。かといって、売れなくてもいいから質の高い本を出すことにこだわりすぎると、読者から遠ざかってしまう。ですから編集者は著者と読者のあいだでバランスを保つことが大切ですね。

龍澤

おっしゃるとおり、編集者はそのことを自覚すべきで、著者と読者のあいだに立ってなおかつ自分の企画のコロラリーをどう作っていくかを考えなければならないでしょう。それをひとり一人の努力だけではなく社内で共有する必要がある。しかも社内だけでなく、会社を超えて横断的に共有する。これは必要なことですし、いま編集者にもっとも問われていることだと思います。

出版界が市場主義化にむかっている現状において、それはいかに実現できるのか。これはとてもむずかしい問題ですが、少なくともそれぞれの出版社、あるいは編集者はしっかりとした方向性をもたなくてはなりませんね。たとえ弾圧なり何なりをしてでも(笑)。そのことの重要性を身にしみて感じます。

(2005年11月23日 韓国・ソウルの細橋研究所会議室にて)

Profiles

高世鉉 (Ko Se-hyun)

1955年、全羅北道・群山市生まれ。80年、ソウル大学韓国史学科卒業。79年から81年にかけて、韓国民主化運動にかかわったことから二度にわたり投獄される。81年、編集者として創作と批評社(当時)に入社、のちに編集局長を務める。99年、創批社社長に就任。同社では、雑誌『創作と批評』のほか、姜萬吉『韓国近代史』(1984)、同『韓国現代史』(1984)、兪弘濬『私の文化遺産踏査記1』(1993)、姜萬吉・成大慶『韓国社会主義運動人名辞典』(1996)などの編集に携わる。また、92年に岩波書店から刊行された和田春樹『歴史としての社会主義』の韓国語訳を手がけた(創批社、1994)。おもな論説に「統一運動のいくつかの争点について」(『創作と批評』1992年秋号)などがある。現在、大韓出版文化協会および韓国出版人会議の理事を務める。

龍澤武 (Ryusawa Takeshi)

1945年、東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。68年、平凡社入社。平凡社選書編集長、取締役事典書籍部長、取締役編集局長を歴任し、96年に日立デジタル平凡社取締役に就任。2000年、同社解散にともない平凡社退社。平凡社では加藤周一編集長のもと、内部編集長として『世界大百科事典』(全35巻)を完成(1988)させるかたわら、西郷信綱『古事記注釈』(全4巻)、藤田省三『精神史的考察』、網野善彦『無縁・公界・楽』など日本の精神史・歴史学を革新する著作の企画編集に従事。東洋文庫・平凡社ライブラリーなどの企画を指揮する一方、E.サイード『オリエンタリズム』、F.ジェイムスン『政治的無意識』など、欧米理論書の翻訳出版を推進。90年代後半は、世界大百科事典のデータベース化・デジタル化に取り組む。平凡社退社後は『季刊・本とコンピュータ』編集委員、また、人文書6社連合によるオンデマンド叢書『リキエスタ』を提唱し刊行。現在、株式会社トランスアート顧問、トヨタ財団理事、法政大学講師。